眠れないなら

メンヘラ女子大生のジュークボックス。

『学問のすゝめ』

エッセイ2回目。最近わたし自身の中で固まりつつある芯を文字に起こしたよ。

 

 

近頃、学問の楽しさを理解し始めた。小学校から数えれば15年もの間学校に通い続けて、ようやく楽しいと思える境地に一歩一歩近付いている。

心が動く仕掛けなど、当たり前のことに焦点を当てて学ぶのが楽しい。無意識のうちにできることに対して、一つ一つ意識を向けていく。自分自身の理解の範疇が広がる感覚が愉快だ。

また、前大学で学んだことに基づいて物事を考えている、と気付いた際の喜びも享受できるようになっている。今、大学生として知識を深められているのは、前大学に通った2年間が土台にあるからだ、と心から思えるようになった。編入生であるという個性を受容しつつある。

加えて、一見関係ない二つの学問が繋がる瞬間も胸が高鳴る。例えば、「法廷での証言を通訳する際、用いる動詞を変えるだけで証言が変わってくる」という話を聞いた際に、わたしの脳内で通訳学と心理学が手を繋いだ。その瞬間に溢れる快楽は何物にも変えがたい。これが教養か、と痛感するのだ。

こういうときめきを感じる度に、「一生大学生でいたいなぁ」と思ってしまう。